しまった。
そまです。
せっかく3周目にナリさん・Sさんが帰ってきたというのに
今度は自分が出遅れてしまった。
Mさんの飯田橋話、ものすごいタメになりますね。
まみさんの「つづく」って展開にもビビりましたが。
負けじと4周目。
今回、ボクのご紹介する本は
佐々木中
『夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル 上』
(河出文庫,2011)
→ amazon
早くもこの手のものを
この俎上にあげてしまった感の否めない感、
というのも、
あるいはタイトルから何となく察しのつく方も
いるかもしれませんが、
この本
ガッツリ学術書。しかも理論の。
タイトルに挙げられている3人の偉大な学者の理論を
ゆっくりと横切っていく
その「長旅」は
上下巻あわせて1000ページ超え、
軽い気持ちで「オススメ」などとは言えない代物。
まあしかしだからこそ、
あまりこのブログを見ているみなさんが手にとることもないような
そんな本にも
ただの一節、
決して全体のエッセンスが凝縮されているというわけでもないけれど
共有したいただの一節、
紹介させてください。
それは
第二部
ピエール・ルジャンドル、神話の厨房の匂い
第四章
系譜原理と<父>――誰かの子であること、誰かの親であること
の中にありました。
「個々の父親は、「至高者=主権者」の、つまり<絶対的父>の、
代理ですらない。
(中略)
その語りにおいて子に「お前は全能ではない、わたしも全能ではないのだから」と
――危うくも――語りかける者であるということになる。」
巷には「父性」や「父権」の復興を謳う人々がいたりして、
父親
その強さや威厳をノスタルジックに求めていたりします。
しかしルジャンドルに言わせてみれば
そもそも「父性」は
そういうものとは正反対の、
不完全さやある種の「諦念」によって特徴づけられ、
父は
神(<絶対的父>)ではなく君主でもなく
ただ弱き一個の人間であり、
だからお前も<同等に>
不完全で弱き一個の人間であると
子に語る、
そういうものだと彼は言います。
思えばボクも
一人の大人の人間に近づいたような気がしたのは、
親にも親の想いがあるという
ごく当然のことを知り、
彼らを(自分とは違う)一個の人格として見ることができた
その瞬間だったように思います。
己の不完全さを子に曝し、
そうすることによって
子にも自分の不完全な一個の人格を認め、生きさせる。
付け加えるなら、
それでも
このろくでもない素晴らしき世界に、
希望はあると、それを示すことによっても。
でもしかし多分やりかたの工夫は必要であって、
生まれてくる子どもに
「ごめんよー
お父さん<絶対的>でなくて不完全でよー
だからお前も不完全なんだけどそれでよくてよー
お互い一個の人格で希望もって生きようなー。」
などと語りかければ、
まずその母親になる人に
「わけわかんないこと教えてんじゃないわよ」
と怒られるであろうこと請け合いだと思うのです。
親子はさておき、
夫婦の間では妻が<絶対的>な君主でもいいんでしょうか、
いいんでしょうね、
答えてください、ルジャンドル先生。
でわでわ、また次回。