NPO法人バディチームブログ

バディチームは子育て支援・虐待防止・里親支援を目的とするNPO法人です。

少年事件の実像〜シンポジウム報告〜

先月、1月24日(日)に世田谷のNPO日本子どもソーシャルワーク協会主催の
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シンポジウム「少年事件の実像」に参加しました。
多くの方に聞いていただきたいような内容でしたので
一部ご報告いたします。

シンポジストは以下の4名
芹沢俊介氏(社会評論家)
高岡健氏(児童精神科医)
相川裕氏(弁護士)
寺出壽美子氏(ソーシャルワーカー児童養護施設施設長)

はじめに弁護士の相川氏より
統計データを基に「少年刑法犯検挙人員」の推移について
昭和58年をピークに大きな流れでは減少傾向があること、
年齢的には15〜16歳がピークで、17歳からの比率は激減していること
といった説明がありました。

その後、すぐに少年事件への理解について核心にせまる
お話が続きました。

【寺出氏(ぴあすぽ代表)】
「ぴあすぽ」は非行等様々な悩みや問題をかかえる
少年を支援する相談機関でありフリースペースもあるところです。
⇒ぴあすぽ詳細
寺出氏の印象は「少年事件」は、子ども自身の問題ではなく
大人の問題である、と。
特に親が我が子のためと思って一生懸命になっていることが
殴る、蹴るといった暴力では無いのだが、
子どもにとっては不適切な養育となって、その認識のない中で
事件が起きている。
子どもも限界にきている。
それでも子どもは親を求め、追っている、と。

また、ぴあすぽの活動の中では、少年院に入っている子どもとの
手紙のやりとりも行っていて
そこでは、子どもの気持ちを受け止めることに徹している
と話されていました。


芹沢俊介氏(社会評論家)】
芹沢氏は、この3月に広島で上演される
「親殺し」をテーマにした戯曲を書いている中で
涅槃教というお経の理解の中から
見えてきた、ということのお話でした。
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2500年前のお経の中にも確かめることができたことであるが
「親殺し」の前には、実は、存在論的な「子殺し」があった

現在の少年事件では、犯行時の責任能力のみを問うような流れとなっていて
少年の養育環境や、養育過程についてはほとんど触れていかない
非常に貧しい人間理解になっている

また、非行というのは不可避、さけられないもの
防止をするのではなく受け止めていくことが大切であり

親殺しとは、
子どもを産んだということは
子どもに殺されてチャラになる、ちょうどいい
という位の腹のくくりが必要なのかもしれない
と話されていました。


【相川氏(弁護士)】
重大事件にならないような非行において
家庭環境やいじめが背景にある。といったはっきりとわかりやすい場合と
必ずしもそうではない場合もある

何が非行に向かわせるのかということでは
非行は、思春期には当たり前として考えた方が良いと思う。
小さな非行を1〜2回行ったとしても、
そうじゃない世界で、自分を信じたり
自分を大切に思ってくれる人がいるかどうか
ということが大事に思う。

非行を受け止める
その子の中で、その子の物語の中で非行を起こしたストーリーを
受け止めてあげないと、その子は前に進めない

大人の都合で、大人の発想でいては理解できないこともあり、
その子の思いにどこまで迫れていたか、
という気持で日々子どもたちに向き合っている

また、裁判のあり方では、報道をみている限りでは
その子に責任能力があるかどうかということと
過去の事例などのバランス感覚で量刑が決められている。
年々、被害者の視点におくようになってきていることも気になる。
被害者、加害者ではなく社会的な視点がありうるのではないか
と話されていました。


【高岡氏(児童精神科医)】
わずかな違いで、自分の子どもも加害者になる可能性がある
という視点があるならば
裁判員制度にも期待ができることがあるが

現状では、子どもを理解しようとすると責任能力がある、とされ
責任能力が無い、とすると子どもを理解することから遠のく
という矛盾がある

また非行は集団、という駆動力が働くことも考慮したい

小さな非行というのは、誰か特定の人へのメッセージであり、
わかってくれるのか、受け止めてくれるのかという思いがあり
それが受け止めてもらえないと大きな非行につながるような
印象がある、とお話されていました。

以上です。
(スタッフO)